「ここから船に乗っていくのね」
翌朝一番の船。これにのってレンドディウム地方に行かなければいけない。
フェーンフィートは目を輝かせてその大きな船を見上げた。
「あまりキョロキョロするな。目立つだろう」
ラフィスは船乗りに二人分の賃金を支払い、フェーンフィートを連れて中に乗り込んだ。
フェーンフィートはというと、ラフィスが遣してくれたあの薄布を頭から纏っている。
踊り子として誤魔化そうという作戦らしい。
船は間もなく出港した。美しい朝日がちょうど昇っているときに、太陽に向けて船は動き出した。
フェーンフィートは船の上というのが興味深々なのだろう、甲板の上で波立つ海を眺めていた。
日の光が当って、美しい赤に輝いている。
風を切ってすすんでいくため、頭から薄布が落ちないように抑えながら身を乗り出して遠くを見つめる。
(テスタルトも綺麗な世界なのね・・・。闇なんて信じられないわ)
「おい、そんなに身を乗り出すと海に投げ出されるぞ」
背後から、声がかかる。フェーンフィートが振り返ると、白いセーラーを着た船乗りの一人だった。
帆を張り終えて、甲板におりてきたのだろう。若いが仕事には手馴れている感じだった。
「おねーちゃん、あのラフィスの連れだろう?」
船乗りが言う。
「ラフィスの知り合い?」
フェーンフィートが尋ねると
「知り合いじゃあないが、あいつは有名だからな。クロードノアの立派な嫡子と。道場での強さや指導も有名だしな」
淡々と言われる。
「斧術ならクロードノアっていうくらいこのあたりじゃあ名が通っているぜ」
まぁ、あれだけ強ければねとフェーンフィートは明朝のことを思い出す。そういえば、とフェーンフィートはひらめいたように口を開いた。
「ラフィスに他に親類はいないの?私たち今ちょっとした旅の途中なんだけどラフィスは出かけるときに皆に挨拶もしないんだから・・・」
「あぁ、あいつはな。本当は責任感もあるし、町の人たちは皆信頼してるんだけど・・・」
「おい」
船乗りの言葉が途中で中断される。ラフィスの声により。
二人の背後から、現れたラフィスは船乗りを睨みつけ
「人の過去話を話してる暇があるなら仕事して来い。人手がほしいって燃料室が騒いでたぞ」
「おっと、それはまずかった。じゃあな、おねーさん。良い旅を」
船乗りはそれを聞くと、急いで燃料室へと走り去っていった。
ラフィスは、ため息をつくと甲板の手すりに背を預けて海を見つめた。
既に朝日は昇りきっていた。
「ねぇ、ラフィス。・・・ずっと聞きたかったんだけど」
フェーンフィートが口を開いた。
「神に選ばれたこと、何で俺がこんなことを・・・とか思ってる?」
きっと辛いことだっていっぱいある。魔物に狙われるのだって、神に選ばれなければ今ごろ道場で平和に暮らせていたかもしれない。
彼女が遠慮がちに尋ねると
「べつに」
ラフィスはそう返した。
「オレじゃなくてもどうせ誰かがやらなくちゃいけないことなんだ。・・・もう夢見を見てた時点で覚悟はしていた」
「そう・・・」
「オレが戦うのは、お前のせいじゃない」
ラフィスにそういわれたとき、フェーンフィートがはっとラフィスの瞳を見つめた。
「お前は、自分たちのせい・・・むしろ自分のせいだと感じているだろ。別にお前が悪いわけじゃない」
ラフィスは依然として海を見つめているが。決してこちらを向いてはくれないが、きっと彼なりの思いやりなのだろう。
「ふふ、ありがとう」
フェーンフィートは嬉しそうに笑った。彼女の心の奥にあった重たいものが軽くなったような気がした。
「ラフィス、テスタルトも随分綺麗なところなのね」
何か、ラクシアスランドにはない美しさを感じる。フェーンフィートも海を見つめた。
ドゴンッ
そのとき、甲板が大きく揺れた。否、揺れたのは船全体。
強い衝撃が何度も船底を打っている。
二人は手すりに捕まり、その衝撃に耐える。一体何が起こっているのか、ラフィスもフェーンフィートも辺りを見回した。
と、フェーンフィートは海中で何かが蠢くのを感じた。巨大な・・・それこそ船を同じくらいの大きさの影が自分達の真下で船を攻撃している。
「ラフィス!海の中よ」
フェーンフィートの言葉で、ラフィスもその物体の姿を目を凝らしてみる。
「あれは・・・魔物か」
「ラフィス、あなたは船を安全なところへ。あの魔物は私がひきつけるから」
そうゆうなり彼女はひらりと手すりを飛び越えて、青い海の中単身飛び込んでいった。
勢いよくしぶきがあがる。さすがのラフィスも目を見張った。急いで海を覗くと、黒い大きな魔物の影は徐々に船から遠ざかっていっている。
どうやら、フェーンフィートが引き付けてくれているらしい。
ラフィスはそれを見ると、踵を返して急いで操舵室へ。
船内は客、船乗りともどもパニック状態だった。落ち着けといっても落ち着けるはずがない。
彼らは原因がまだわかっていないのだから。ただ、船乗りたちは船底に穴が空いていないか、燃料室に故障はないか、右往左往していた。
客は、客室でうずくまる人もいれば逃げ出そうと船内を走り回っているものもいた。
やっとの思いで、操舵室にたどり着くと案の定そこもパニックだった。
「おい!」
彼は声を張り上げて叫んだ。一斉にラフィスに注目が集まり、静寂が訪れる。
「船底で巨大な鮫が突進してきた。今は被害はないが、一時的に緊急避難する」
ラフィスがすっぱりと言い放つ。魔物などといっても皆を不安にするだけだ。
ラフィスは、操舵室にいた航海士から地図を取り上げた。それを黙々と見つめる。
(さっきこの島を左に通ったな・・・)
「・・・おい、今の風向きと風速を教えろ」
地図から目を離さず航海士に聞くと
「今は・・・北に風速6メートルです」
「6メートルか・・・」
ラフィスは数秒悩むと、すぐさま決断をしたのか顔を地図から離した。
「取舵を取れ!北東に向え。一番近くの岸へ船を停めるぞ。今から10分もあれば着くはずだ」
ラフィスのその命令に、皆が従い船長は取舵をとって北東に船を進めた。船体を揺らして、船は大きく向きをかえていく。
今度は彼は、操舵室から離れ再び甲板へ出て行く。今にも海に飛び込みそうな人たちを制する。
「待て!今海に飛び込むのは逆に危険だ。今から岸へ向う。そこへつけば安心だ」
今はただ、部屋で大人しくまっておくといいと皆に言うと彼らは大分緊張が解けたのか甲板を離れて客室へ向うようになった。
ひとまず、これで乗客と船は安心である。問題は・・・。
ラフィスは、船の先端から、海を見渡す。あの黒い巨大な影もフェーンフィートの姿も見えない。彼女は無事だろうか。
と、そのとき海のど真ん中で巨大な火柱があがった。
海中に飛び込んだフェーンフィートはというと、竜の姿となり魔物と対峙していた。
クジラのような姿だが、全身に棘をもっており、目は妖しく光っている。
(まーったく、やなことしてくれるものね)
フェーンフィートは大きな尾で魔物の腹をひっぱたく。
(いった!!)
むしろフェーンフィートの方が、棘がささって痛かった。しっぽで打たれた魔物は数メートル先に飛ばされたがすぐに体制を立て直した。
フェーンフィートはそれから船から遠ざかるように海の中を進んで行くと、挑発された魔物も彼女を追いかけてきた。
さすが水に長けた魔物。泳ぎではフェーンフィートを凌ぐスピードだ。
追いつかれたフェーンフィートは、片翼をかぶりつかれる。
『!』
翼にくいついたまま、魔物は大きく頭を振って引きちぎろうとする。
翼の根元の部分から、赤い血が海へ流れていく。
(いったいわね、この馬鹿!)
フェーンフィートは、唯一棘に覆われていない尾ヒレの部分に思い切り噛み付いた。
相当痛かったのか、魔物はうめき声を上げて彼女の翼から口をはなした。
(あーあ、もう私の翼が台無しじゃない)
幸いなことに翼は背中と繋がっているが、以前血は流れ出ている。
フェーンフィートは、自分が随分船からはなれて、さらに船も岸へ向って進みだしたのを確認すると
(もういい頃かしらね)
そう思い、呪文を念じる。
竜のまわりに赤いオーラが煌き始めた。
怒り狂った魔物が、フェーンフィートへ向ってきたとき。
『ファイアストームッ!!』
彼女の前に魔方陣が現れて、そこから信じられないほどの炎が現れて大爆発を起こした。
火柱が魔物を被いつくしていく。
うめき声をあげながら、火から逃れようとするがその大量の炎は決してそれを許さない。
火柱が収まった頃、魔物は仰向けになって水面に浮いていた。
船が一時停泊している海岸へフェーンフィートはたどり着いた。既に人間のような姿に変身していた。
魔物のしっぽをつかみ、海岸まで引きずっていく。
その海岸には、フェーンフィートが戻ってくるのを待っているラフィスの姿があった。
「ラフィス!こいつにとどめさしてほしいの!あんたの斧じゃないととどめさせないでしょ」
ね、と彼女がお願いするとラフィスは無言で斧を取り出し魔物を消滅させた。
もともと無口な彼であるが、今がいつにも増して・・・
「ねぇ、何か怒ってる?」
フェーンフィートが恐る恐るきいた。
「お前は馬鹿か。勝手な行動をするな。今回だって、無事だったからいいものの」
ラフィスは一人で海に突っ走っていったフェーンフィートに怒りを感じているようだ。
「でも、今回はしょうがないでしょ?迅速な処置が必要だったんだし。私は竜となって奴を撃退し、ラフィスは安全を優先する。
ちょうどいい作戦じゃない」
まったく気にも留めない、むしろいい作戦だと自画自賛する彼女にラフィスも呆れてただ息をついた。
彼女とこれ以上はなしてもしょうがない、と話をきりあげて行くぞと促した。
ラフィスが海を背にして陸の方へ戻って行く。その背中をみつめながらフェーンフィートはぽつりと呟いた。
「別にただ考えなしに突っ走ってたわけじゃないわよ。私とあんただから安心して任せたの」
その声がラフィスに届いたかどうかは謎である。