日は沈み、漆黒の空には数個の星が輝き始めている。
例の如く、夜通しこの道を歩き先に進むのは危険だ。
「また野宿なのね?」
うんざりとした口調のルルフ。崖を登ったうえに固い地面の上で睡眠。疲労もピークだろう。
「しょうがないだろ。下手に夜の森に入って迷っても知らねぇぞ」
ラースドがぶっきらぼうな口調で言う。すると、渋々と彼女も頷いた。
「じゃあリアス!一緒に晩御飯調達しに行こう!」
クリスがリアスの手をぎゅっとつかんで、森の方へと誘う。意外に野宿に乗り気だ。
彼女の左手には既に弓が持てれてい、準備が整っている。
「ちょ、そんな引っ張るなよ」
早足で歩くクリスに、リアスは引っ張られる形で一緒に薄暗い森の中に消えていった。
その姿を見送ってから、残りのメンバーが火種になりそうな木や葉っぱを集め始めたのだった。
「ねぇ、これ食べれるかな?」
大きな木の根元に生えている黒い物体。クリスはそれを引き抜き、持ち上げた。
クリスの手の平よりも大きなキノコだ。
赤黒くて、毒々しい模様が広がる笠の部分。明らかに胡散臭い。
「いや、それはちょっと・・・。毒キノコだったらどうすんの」
リアスが引きつった笑顔で答えると彼女は「そっか」とキノコを元あった場所へ置いた。
クリスはまたキョロキョロとあたりを見渡して食べることができそうな物を探す。
そしてまた目当てのものが見つかったのだろう。「あ!」と嬉しそうな声と笑顔で、そこへ走る。
しゃがみこみ見つけたのはまたキノコ。先ほどとは異なり、紫色一色の笠だが・・・
「これは?」
「それも・・・ちょっと・・・。ってかなんでキノコばっかりなんだ!?もっと別のものにしよう」
うっかりと変なものを食べらされても困る。
アロンズの謎を解く前に、この世からおさらばになりかねない。
リアスはクリスの矛先を変えるべく、進言した。
するとクリスはキノコをまた元の位置に戻した。
うーん、と悩みながら何かを探すクリスを傍から見ているだけで飽きない。リアスは彼女に気づかれないようにひそかに笑った。
その時、クリスは左腰につけていた矢筒から一本の矢を引きだした。
考える間もなく弓につがえ、狙うのは数メートル先の木の上。
狙いを定めて、放つ。弦音が響くと同時に、木の上からドサリと何かが落ちてきた。
「やった!ゲット!!」
クリスがその獲物のもとへ駆け寄る。
鳥だ。クリスの矢が見事に体を貫いていた。彼女が鳥の足を持ち上げた。
「これなら大丈夫だよね」
「クリス、腕あげたな!」
「えへへ、そうかな」
「6人だからな。あともう1匹くらいはほしいな」
リアスも、銃剣を構えた。狙うのは木の上。
森の中に銃声が轟いた。
「ただいまー」
「帰ったよー!!」
リアスとクリスが、4人が残る焚き火の場所に戻った。
彼らの手には1匹ずつの鳥。
「もう血抜きしてるよ」
クリスが、ラースドとルルフの前に鳥をどさっと置く。
それに続いてリアスも獲物を置いた。
目の前に置かれた晩御飯に、ルルフが少々顔をしかめたのはしょうがないのかもしれない。
「思ったよりも早かったな」
ラースドがいう。今ちょうど火起こしをしているところらしい。火種に火が燃え移り、静かに煙が立ち上っている。
その時、リアスはようやくそこにラースドとルルフしかいないことに気がついた。
「あれ?ティラミスとセルウィンは?」
あたりを見回すが、近くにいる気配はない。
「いつの間にかにいなくなってたのよ。リアス、夕飯前までに探してきてくれない?」
ルルフがまったく、と腕を組んだ。
わかった、とリアスは素直に返事をすると銃剣を片手に今しがた帰ってきた森の中へ再び走った。
「ティラミス。お前のことはオレは大体見当がついている」
暗闇の森の中、セルウィンがいつもとは異なる険しい表情で言う。
彼の正面にいるのはティラミス。焚き火から、少し森に入ったところで木々の間で二人は話をしていた。
あたりには虫の声や、鳥の声。木のざわめき。
ぴりぴりと張りつめた空気。それを作っているのはセルウィンだった。
ティラミスも、それを感じ取り、じっと黙ってセルウィンの言葉を待っていた。
「オレはお前に記憶があるかないなんてどうでもいい。もしもこの先オレ達の邪魔をするようなことがあれば・・・オレはお前を殺すことを躊躇わない」
セルウィンがいい終わると、ティラミスがゆっくりと口を開いた。
「・・・それでもいいよ」
落ち着いた様子だった。小さな声だったけど、森の雑音に消されることなく彼女の声ははっきりと聞きとれることができた。
「・・・本当はリアスに殺してほしいんだけど、彼はきっと殺すことができないから・・・」
「・・・そう、だろうな」
セルウィンがうつむいた。
彼の琥珀色の髪の毛が、薄い月明かりに照らされた。
ティラミスは空を見上げた。今宵は綺麗な満月だった。
「もしもその時が来たら、あなたが私を殺して」
月を見上げたままの、彼女の凛とした声。
セルウィンは、短く「あぁ」と返事をする。
それに満足したのか、ティラミスは視線をセルウィンへと戻した。そして、微笑む。
「ありがとう」
「・・・もう戻ったほうがいい。みんなが心配するぞ」
セルウィンが踵を返して、ティラミスに背を向けた。
「私はもう少し、散歩してから帰るよ。先に帰ってて」
「あんまり遅くなるなよ」
そう言って振り返ったセルウィンには、またいつものように人懐こい笑みが戻っていた。
彼は皆のいる焚き火の場へとまっすぐ向かう。
煙が空に上がっているので、彼らの位置はすぐにわかった。もう夕飯の準備を始めているのだろう。
黙々と歩きながら、セルウィンは先ほどの会話を瞼の裏に思い出す。
(殺すといった相手に、ありがとうか・・・)
ティラミスが今、とても辛い思いをしてるのはわかっている。
彼女の訳のわからない自分との葛藤。逃げ道なんて、どこにもないはずだ。
きっとアロンズの研究所に近づくにつれ、自分の謎の解決に近づくにつれ、そのつらさは増していることだろう。
ただ、自分にはどうすることもできない。
セルウィンが溜息をついた。
その時、目の前の茂みがガサガサと揺れる。
反射的にセルウィンはカゲツメを装備して、目の前の相手に攻撃態勢をとる。
だが、茂みから出てきたのは見慣れた人物。このシルエットは・・・
「リアス!?」
「あ、セルウィン!ようやく見つけた!!」
リアスは満面の笑みで、彼に近づいた。ずっと探してくれていたらしい。
セルウィンは構えていたカゲツメをさっと戻した。
「もう夕飯できるよ!・・・って、ティラミスは?」
リアスがセルウィンの周りにティラミスの姿を探すが、彼女の姿は近くにはない。
「なんか散歩って行ってあっちに行ったけど」
セルウィンがあっちと、自分が今歩いてきた道を示す。
するとリアスは「そっか」と元気よくその方向にかけていった。
「無邪気だなぁ。ま、それがあいつのいいところか」
セルウィンは見えなくなるリアスの背中を見て、呟いた。
(ティラミス、どこいったんだろ?一人で、モンスターにでも襲われたりしたら・・・)
リアスが茂みを走り抜けて、ティラミスの姿を探す。
見渡しても、彼女の姿はない。
もしかしたら、もう何かあったんじゃ・・・とそんな不吉な思いがリアスの胸をかすめたときに、リアスの前の視界が突然開けた。
木が所狭しと密集していたこの森の中で、しんと佇む泉が存在したのだ。
見渡すだけでもかなり大きい。その泉は、まるで時が止まったかのように静かな空間だった。
月明かりが水を照らし、夜空の星が水面に反射して輝く。
まるでおとぎ話の世界のような・・・。
呆然とその光景に心を奪われていたリアスだが、そこの泉の中央にティラミスがいることに気づいた。
ティラミスは泉にある岩の上に腰をおろし、何やら無心に泉を眺めていた。
飛び石を渡ってそこまで行ったようだ。
「ティラミス、こんなところでどうしたんだよ」
リアスが、ティラミスの横に並んだ。
彼女は今までリアスの存在に気づいていなかったらしく、突然現れたリアスに驚いていた。
「リアス、いつの間に!」
「今だけど」
平然と答えるリアス。
彼はそのまま、そこに腰をおろした。
そこから見る景色は、自分が泉に浮いているようで幻想的で不思議な景色である。
「月をここから見ていたの」
ティラミスはそう言ってまた水面を見つめる。彼女が見ている月というのは、水面に映った月のことのようだ。
「とっても綺麗だから」
そう言って無邪気に笑う彼女の笑顔も、とても綺麗だった。
「ティラミスって本当に無垢だよね。欲がないっていうか」
リアスが笑う。すると、ティラミスはきょとんとして答えた。
「それを言うならリアスでしょ?」
「いーや、ティラミスだね」
二人は顔を見合せて、不毛な言い合いがおかしくて笑い始めた。
一通り笑い終わると、ティラミスはふぅと一息つく。
そして水面を見つめて、不意に悲しそうな目をした。
「・・・私って、どうしてここにいるんだろ」
記憶をなくして、いろんな人のお世話になって、皆と一緒にこうして旅を続けて
それが楽しくて、それでも心の中で拒絶される。
「誰かがティラミスを必要としてるからだよ」
リアスは、夜空の月を見上げていた。
「ラースドも、ルルフも、セルウィンも、クリスもそしてオレもみんなティラミスを必要としているよ」
「必、要・・・」
ティラミスが彼の言葉を繰り返す。その意味をかみしめるように、ゆっくりと。
そして彼女は水面からリアスに向き直った。
「どうしてリアスはそんなに優しいの?」
ひどく悲しそうな顔でリアスに問う。
リアスが彼女のほうをむくと、二人の目線が交差した。じっと真剣にリアスの瞳を見つめるティラミス。
二人の動きが止まる。彼女の赤い瞳は妖しい光を放っているようだった。リアスを、麻痺させるような。
「オレは、優しくなんてないよ」
ようやく声を出したリアスが、目を伏せる。そして自嘲ぎみに笑った。
「オレが優しかったら、ティラミスにこんな顔させないのに」
リアスは何も悪いことをしていない。それなのに、こんなに苦しそうな顔をしている。
彼にこんな顔をさせているのは、自分だ。ティラミスの胸が痛んだ。
そう思っているティラミスの横で、リアスがすっと立ち上がる。
「もう帰ろう。みんなお腹すかせて待ってるよ」
リアスが、座ったままのティラミスに手を差し伸べた。
「・・・うん」
ティラミスは小さく微笑むとその手をとり、立ちあがる。
ここに来た時と同じように、飛び石を渡って森へと戻る。
はずだったのだが・・・
「うわ!」
リアスの悲鳴が上がる。
バシャンッ
そして静かな泉に響く大きな水音と、飛び散る水しぶき。
足を踏み外したのだ。
「うわ、つめたっ」
頭までびしゃびしゃになったリアスが、泉から顔をのぞかせる。
泉はどうやら深いらしい。夜ということもあり、泉はひどく冷たいのかと思われたがなぜだか心地よいくらいの冷たさであった。
「大丈夫?」
くす、と笑いながら、落ちたリアスのためにティラミスが手を貸してやる。
ティラミスの手を取ろうとしたリアスの動きが一瞬止まった。
そしてにやりと口角をあげて笑うと、リアスはティラミスの手を勢いよくこちら側に引っ張った。
バシャンッ
再び響き渡る水音。
「ぅわわっ」
ティラミスは、泉に落ちるともがくように手足をばたつかせた。
「わ、な、なにこれ!体が沈む・・・!」
水の中に引き込まれそうになるのを、必死で重力に抗おうとする。
だが暴れれば暴れるほど、彼女の体は水の中に沈んでいった。
「ティラミス、もしかして泳げないの!?」
それをみたリアスが慌ててティラミスの腕を引いて体を水面へと上げてやる。
浮力のおかげで彼女の体は、リアス一人の腕力でどうにかできるほど軽い。
ようやく水面に顔を出したティラミス。安定したその状態に安堵したようだ。
「ティラミス、もっと力を抜いて。そしたら水に浮けるから」
リアスの助言もあるが、ティラミスとしては力を抜くとそのまま沈んでしまうのではないかと恐ろしいらしい。
今も体は強張ったまま。
「大丈夫だって。ゆっくりと水に体を任せるんだ」
そう優しく言うと、ティラミスの体が徐々に水に浮き始める。
彼女は水の上に、大の字で横になった。
目の前には、星空だけ。緩やかな波の音と、優しい月の光。
「すごい!!綺麗!!私、こんなの初めて!」
ティラミスは、水に初めて入った幼児のようにはしゃぐ。
笑う彼女は、本当に楽しそうだ。
隣でその様子を見ていたリアスも、嬉しくなって思わず笑顔になった。
そして、静かな声で言った。
「・・・よかった。笑ってくれて」
ティラミスがリアスのいる方向へ顔をむける。水が鼻に入るので、できる精一杯の範囲でだったが。
リアスは満月の空を見上げていた。
そんなリアスの横顔を見つめて、ティラミスは心の中で一人思う。
(あなたは優しすぎるの。誰よりも、何よりも、作られたオートマターよりも)
自分のことよりも、他の人のことを考えてあげられるあなたは。
ティラミスが、ふわりと柔らかく笑う。
(・・・私は、幸せだよ・・・)
静かだった泉で、二人の間に風が通り抜けた。
「ずいぶん遅かったな」
キャンプをしている場所に戻ると、ラースドが明らかに苛ついた声を二人に投げた。
ラースド、ルルフ、セルウィン、クリスが焚き火を囲んだ状態で、2人を迎えた。
どうやら二人が思っていた以上に遊びすぎてしまったらしい。
リアスとティラミス以外の4人は既に夕飯を食べ終わってい、焚き火の炎は随分と小さくなりかけている。焚き火の前には、2人分の鳥が串にさされて残っている。
「こいつがうるさいのなんの」
ラースドがこいつ、と指さすのはクリス。彼女はなにやら物言いたげにリアスとティラミスを見上げているが特に何を言うわけでもなく顔を反らした。
「あら?なんで二人とも濡れてるのよ」
尋ねたのはルルフ。
「泉に落ちちゃって」
リアスが苦笑すると
「二人で?間が抜けてるわね」
ルルフの厳しい一言だった。
「火が消えちゃわないうちに温まりなさい。こんなところで風邪でもひかれたら足手まといだわ」
月はすでに彼らの真上まで登ってい、夜は更けていった。