薄れゆく意識の中、走馬燈のように蘇る60年前の記憶。
リストー村から少し離れに住んでた自分はオートマターの研究に没頭していて。大地震が起こって急いで彼女がいるリストース村に向かったときは既に遅かった。
大木の下敷きとなって、頭から血を流す彼女の姿。手はもう、人形のように冷たかった。
彼女は体が弱かったというのに。
その傍らで放たれた汚い大人たちからの一言。
「そんな体なら死んだ方がマシだっただろう」
体の血がわき上がるのを感じた。僕の中にあった唯一の光は、漆黒の闇に失われてしまった。
それなら、再び光を取り戻すしかない。
そう、あの笑顔を取り戻したかったんだ。
アロンズのぼやけた視界の中で見える・・・清らかな水のように流れる髪の毛。こちらを見つめる吸い込まれるほど澄んだ深紅の瞳。陶器のような白い肌・・・。
「僕の、いちばん・・・たいせつ、な・・・ティラミ、ス・・・」
どうか、ずっと笑っていて――――・・・。
アロンズの体が、次元の歪みに吸い込まれるようにすぅっと消えていった。
「アロンズ・・・」
彼の欲望が直接流れ込む彼女には、同様にアロンズの気持ちが直接流れ込んできたのだろう。
(どうかティラミスさんと、幸せに・・・)
私のこの身は、偽りのものだから。ティラミスは瞳を伏せる。
アロンズの体が消えた瞬間、自分の背を掴むティラミスの力が弱まったのをリアスは感じた。銃剣が手から抜け落ちたのも気にせずリアスは振り返る。
原動力を失った彼女の体から零れ出す光の粒子。それは、生気のようにも感じられて・・・。
「嫌だ!ティラミス!!消えないで!!」
リアスがティラミスの肩を強く掴んだ。このまま消えていかないように・・・。
「オレのせいで・・・ごめん、ティラミス・・・!!!」
俯いた拍子に、涙は次々と落ちていった。
「リアス・・・」
ティラミスは呟いた。零れる光と反比例して、彼女の体は漆黒の闇に吸い込まれていく。
消えゆくティラミスの身体をみて、嘆くリアスの様子をみて我慢できなくなったクリスはセルウィンに詰め寄った。彼のマントを引っ張る。
「ねぇ、セルウィン!!どうにかしてティラミスを助ける方法はないの!?セルウィンならなんとかできるんじゃないの!?」
「なんとかできないわけでもないが・・・」
セルウィンはクリスから目を反らす。言葉も歯切れが悪いが・・・
「方法があるのか!?」
リアスが、わずかな希望に赤くなった眼をあげた。まっすぐにセルウィンを見つめた。
するとセルウィンは、やや戸惑いながら切り出した。
「・・・原理からすれば・・・ティラミスにアロンズの代わりとなる欲望を起動力として切り替えれば・・・」
「それなら簡単じゃない!私の欲望を使ってよ!!」
クリスが掴んでいたマントをより強く引っ張ると、セルウィンは静かに首を振った。その表情は、なぜか暗い。
「アロンズのあの執念をみただろう?彼ほどの強い欲望の持ち主でないと、ティラミスは動くどころか形をとどめておくこともできない。君たちの欲望なんて、かわいいものだよ」
「そんな・・・」
ルルフが言葉を失った。クリスも、力なくマントから手を離す。
なるほど、現実的に考えて不可能に近い。ラースドも、黙って顔を伏せた。
そのとき
「オレの欲望をいれてくれ!」
リアスが声を張った。
「お前に・・・欲望が・・・?」
ラースドが驚きを隠しきれずにいた。他の誰かならともなくリアスは、その二文字には遠く離れた人物だからだ。
「リアス、無理だよ・・・」
ティラミスが呟く。彼女だから分かる、アロンズがいかに強く破壊を願っていたのか。彼の欲望の強さが如何ほどのものなのか。リアスの純粋な心では塵ほどにも満たない。
「オレは誰にも負けない欲望を持ってる!!」
圧倒されるほどリアスの自信にも似たしっかりとした声。
「“ティラミスと、一緒に生きたい”。 オレはアロンズにも負けない自信がある」
全員が、言葉を飲んだ。なるほど、どうやら自分たちはリアスを買い被りすぎていたのかもしれない。
「よし、その欲望、一生忘れんなよ」
セルウィンはリアスに念を押すと、リアスは迷いなく頷いた。
「ティラミス、悪いな」
セルウィンはあらかじめ詫びをいれると、首をかしげるティラミスに構うことなく首の根に手刀を勢いよく落とした。
当然ティラミスは意識を失い、がくんと倒れ込む。
驚く一同に見向きもせず、セルウィンは彼女の首あたりに何やら触れている。リアスが覗き込むと、ティラミスの首がぱっかりと開いているではないか。
光がこぼれ出すティラミスの中から除くのは生々しい血管などではなく、この空間のような真っ黒なブラックホールのような空間。それでも一歩引ける光景であることは間違いない。
「・・・」
さすがのリアスも、自らの腑が浮くような気持ち悪さを覚えた。不思議そうに覗き込もうとするクリスやルルフを懸命に止めた。
「リアス、お前がここに触れるんだ。そうすることで、起動力の切り替えが起こるはず」
セルウィンが至って真面目な声色で、リアスに言った。怖いだなんて言っている場合ではないことはよくわかっている。
一瞬躊躇があったものの、リアスがティラミスの首元に触れた。
(ティラミス・・・絶対に消えさせやしない・・・)
黒い空間は、リアスの手が触れると白く輝き始めた。それはまた、命が宿ったことを示すかのように強い輝き。
もう彼女から零れ出ていた光は止まり、消えゆく彼女の体はしっかりと健康的な色を取り戻し始めたのだ。生きている。リアスはほっと胸をなでおろした。
「しばらく意識は戻らないかもしれないけど、これでおそらく大丈夫だ」
セルウィンは、ぱっかりと開いた彼女の首を元通り閉じたのだった。
「よし、じゃあ私たちもさっさとここから脱出しましょう」
ルルフがそう口を開いたとき、次元の歪みががくんと揺れた。
「なんだ!?」
「・・・おそらく、基盤となってたアロンズが消えたことによって次元の歪みのバランスが崩れたんだろう!早く脱出しないと巻き込まれるぞ」
ラースドの問いに、セルウィンが答えた。
「お約束ってやつね」
クリスが肩を竦めた。
ルルフが神経を集中して、もといた世界の波動を探る。右、左・・・と彼女の手が移動する。
その間にも、歪み内の騒音はどんどん大きくなっていき、揺れも激しくなっていた。
ここが崩れてしまうのか、飲みこまれてしまうのか、弾けてしまうのか、そんなことは分らない。
「ここね」
と、その時とある一点でルルフの手が止まった。
「私の魔術で穴を開くわ。そしたら皆でそこに飛び込むのよ!!」
ルルフが両手をその一か所に掲げた。彼女の手の平から放たれる魔力と、次元の歪みが互いに反応して共鳴反応を起こす。
「おい、おま・・・そんなこともできるのか?」
「言ったでしょう。魔術と人口鉱石の構成は似てるのよ。人口鉱石でここが安定して歪みが成り立っているのならばそれを逆に分解してやると穴ができるわ・・・」
驚くラースドに、ルルフは早口に説明した。魔術の手は休めずに。
どんどんと、次元の歪みが裂けるように割れ始めた。そこから眩しいくらいの光が溢れ始める。
これが、世界をつなぐ穴・・・。
もうここが崩壊する限界まできていることは、誰もが気づいていること。
「いくよ!!」
クリスは、その光へと勢いよくダイブした。
それに続いて眠ったままのティラミスを担いだラースド。
そして、ルルフも飛び込む。
「セルウィンも早く!!」
切り裂かれた穴の前で、リアスは立ち止ったまま動かないセルウィンに手を伸ばした。
だがセルウィンはのばされた手を、受け取ることはせずに代わりに彼の手に握らされたのは銃剣。
大切にしていたリアスの相棒。先ほど、下に落としてしまっていたものだ。
「・・・セルウィン・・・?」
いつもとは様子が違う彼の姿に、リアスの胸がざわついた。
「オレがここから出ると、オレの持っている人口鉱石の力が失われて次元の歪みが不安定化し、散り散りになる。
もしかしたら、お前たちの世界に影響が出る可能性もある。オレはお前たちとはいけない」
彼の強い眼差し。まっすぐな瞳。本気だった。
リアスの胸の中が一気に冷たくなる。背筋が震えた。
「嫌だ!!オレ、難しいことなんか分んないよ!!分かりたくもないッ!!セルウィン、一緒にいこう!!」
駄々をこねる子供のように頭を振り、セルウィンの腕を引く。
すると、セルウィンは微笑んでやんわりとその手をほどいた。
「心配するな。アロンズを止めた。オレはもともと成仏する身なんだ」
さあ、ここが崩壊する前に早く、とセルウィンはリアスの背中をぽんと押してここからの脱出を促した。
リアスは自分の奥から込み上げてくる熱いものを感じた。それを必死で抑えて、光の穴へ手をかける。
穴が霞んだ。
「セルウィン・・・ありがとう・・・」
振り返ることをせず、リアスは擦れた声を絞り出した。今の彼にはこれで精一杯だった。
そして穴の中へ、飛び込んだ。
刹那、背後から声が聞こえた気がした―――・・・。
リアス。君達は、あの世界でもそのままの気持ちを持ち続けてくれ。