約束の花 後編
いつの間にか、クラリッサの呼び方が「セレウス様」に変わった。
しゃべり方も敬語になった。
自分の部屋の掃除にも来なくなった。代わりにくるのは、名前も知らないような中年の女性。
ちゃんと仕事はしてくれるし、部屋は綺麗になってるのだがセレウス的には何か味気ない部屋だった。
もはや同じ城の中に住んでいるといっても、顔を合わせる機会も少なくなってしまったのだ。
そのためか、クラリッサのセレウスへの態度もよそよそしい。まるで知らない人に接するような・・・。
晩御飯も食べ終わり、夜の稽古事も終わったセレウスの部屋が小さくノックされた。
コンコンコンとリズムよく3回なる。この鳴らし方をするのは一人、クラリッサだけだ。
セレウスは急いで扉を開けた。
部屋の前には、あのクラリッサ。どれくらい会っていなかったのか、数か月ぶりだろう。
懐かしい姿、顔。彼女は、揺らめく瞳でセレウスを見つめる。
彼女の手には、一枚のシーツ。
「申し訳ありません。本日、メイドがベッドメイキングを忘れていたらしく私が取り換えに参りました」
機械のようにしゃべる彼女。
セレウスは部屋に招きいれ、淡々と作業をするクラリッサの背中を見つめる。
はじめは、ベッドメイキングなんてできずに布団をぐしゃぐしゃにしていた彼女の姿があったものだ。今ではすっかりと手慣れたものである。
ものの数分で、一人で大きなベッドを整えると彼女は軽く会釈をした。
「それでは、失礼しました。おやすみなさい。セレウス様」
セレウスの傍を、すっと通りすぎる彼女の細い腕をセレウスは掴んだ。
「もうセレウスって呼んではくれないの?」
セレウスのひどくさみしそうな瞳と、クラリッサのつらそうな瞳が交差する。
クラリッサを掴む腕に力がこもる。彼女を離すまいと。
「寂しいって思っているのは僕だけ?」
答えてよ、とセレウスが縋りつくようにクラリッサに問いかける。
彼女が、震える手でセレウスの肩を掴んだ。そして、ゆっくりと距離をおく。
「・・・もう、あの頃の私たちじゃないんです。あなたは、ヴァルドヴァースの次期領主なんです。
一方の私はただのメイドです。あなたと私は住む世界が違うんです」
突き放すようなクラリッサの言葉。
これはメイド長からの警告だった。
メイドとなったからには、セレウスに敬意を表さなければならない。
軽率な行動は控えなければならない。
そして、年頃の男女があまり一緒にいるべきではない。これはヴァルドヴァースの今後のことを考えての言葉だった。
クラリッサはそれを実行しただけのこと。
「ならメイドなんてやめればいい!」
セレウスが叫ぶ。彼に威圧され、彼女は数歩間をあける。
それを詰めるように、セレウスも数歩歩いた。
広い部屋の中で、壁際にクラリッサを追い詰める。逃げ場を失ったクラリッサは、静かに怒りをこみ上げるセレウスに怯えているようだった。
二人の間に沈黙が訪れる。
彼女は、泣きそうに顔をくしゃくしゃに歪ませて声をあげた。
「私だって一緒にいたい・・・っ!だからこそメイドをしてるのよ!!メイドをやめたら私はお屋敷にすらいられなくなるの!
そしたらセレウスはもう雲の上の存在じゃない!」
クラリッサの悲痛の叫び。言葉を失ったセレウスを突き飛ばして、クラリッサはセレウスの部屋から逃げるように立ち去った。
パタパタと廊下の足音が小さくなる。
セレウスは髪の毛をくしゃっと握り、床に力なく座り込んだ。
そこで気づく。彼の先にある紙切れに。
クラリッサが落としていったものだろうか。それを拾い上げて、絶句した。
シロツメクサが押し花にされた、しおり。
これは昔の城の裏庭で二人で遊んだ時に、セレウスが彼女に渡したものだった。
「まだ・・・持っててくれたのか・・・」
そうして、ますます二人の距離は遠ざかって行った。
3年の月日が過ぎた。
めずらしく、人払いをした広間で父と二人。何か深刻な話なのか、父の顔は引き締まっている。
父が口を開く。
「セレウス。お前には、実は婚約者がいるのだよ」
父から聞かされた意外な言葉。そんな話、今まで聞いたことがない。
「・・・今、なんとおっしゃいましたか」
セレウスは自分の耳が信じられずに再び聞き返す。
「・・・セントリバースの国の姫が、お前の婚約者なのだ」
頭が真っ白になる。セントリバース。この国を統べる最高統治者。
その姫が、自分と?どうして自分なんだ?
―――クラリッサは・・・?
父は再び話を進める。
「お前には急な話になって申し訳ないが、昔から決まっていたことだ。王家の血筋を途絶えさすわけにはいかない。
そこで王家の血が流れる、姫と年が近いお前が婚約者だと決まったのだ。家にとっても良い縁だ。どうか、受けてくれないか」
「そんなの・・・!勝手すぎます!!私は私で伴侶を決めます」
セレウスが、憤り広間を後にした。
セントリバースの姫。次期クリムゾンパスの後継者。
名前はシャルティア様と言ったか。べつにシャルティア様に不満があるわけじゃない。
昔、ヴァルドヴァースを訪れた際に何度か面会したこともある。でも・・・
「セレウス様!!」
苛々とした荒い足取りで、自室に向かうのを誰かが止める。
この親しみのある声・・・。
振り返ると、栗毛色の髪の毛のメイド、クラリッサがいた。
「ご結婚のお話を断ったとお聞きしました」
「当然だ。僕は僕で自分の人生を決める」
セレウスが言い放つ。すると、クラリッサが垂れた目でセレウスを見上げた。
彼女の深い瞳がセレウスをまっすぐにとらえる。
「ダメです。このお話は国にとっても、セレウス様にとっても良いお話です。断わってはいけません。
・・・それにシャルティア様はとっても美しくお優しい方だとお聞きしています。きっと幸せになれますわ」
幸せ・・・?シャルティア様と結ばれることが幸せになるというのか?
セレウスの腹の中で、沸々と怒りがわいてくる。
自分はこんなにも、クラリッサのことを想っているのに彼女は自分に縁談を勧めるのか?
セレウスにとってはクラリッサはただのメイドでも、幼馴染でもない。
(それなのに・・・)
彼は拳をぎゅっと握った。
「僕が・・・君と一緒にいた時間は、幸せじゃないということなのか?」
低い声で問いかける。瞳を伏せているクラリッサに、唇をかみしめた。
今きっと言葉を発すると、彼女を傷つける言葉しかでてこないだろう。
セレウスはぐっと言葉を飲み込んで、彼女に背を向けた。
「・・・縁談、飲むよ」
自分でも驚くほどの冷たい言葉。それだけを言うと、セレウスは振り向きもせずに彼女のもとを後にした。
さようなら、クラリッサ。
セレウスは、ポケットにあるシロツメクサのしおりを強く握りしめた。
結婚式を、クリムゾンパスのメンバーにめちゃめちゃにされて。
花嫁を奪われて、婚儀は中止になった。
僕は正直ホッとしてた。これで、シャルティア様と結婚しなくても済む。
それと同時に赤毛の剣士から叱咤されたことを思い出す。
『お前はシャルの気持ちを考えたことがあるのか』
『お前なんかにシャルは渡せない』
そうか。僕の大切な人がクラリッサであるように、あの剣士の大切な人がシャルティア様なのだろう。
身分違いもいいところだ。護衛である一剣士と国の最高峰である姫。僕とクラリッサよりもひどいじゃないか。
自嘲の笑いが、自然とこぼれる。とてもすがすがしい気持ちだ。
あの剣士はためらうこともなく、シャルティア様をつれて逃げた。汚名が着せられるどころではない。国家問題の罪人になり下がってしまうというのに。
だが、そのおかげではっきりした。何も行動を起こさなかったのは、僕だったんだ。
クラリッサの手が届かない存在に、自分からなっていたんだ。
雲の上に彼女は自ら上れない。それならば、僕が彼女を引きあげるか、飛び下りるしかないーーー・・・。
「セレウス様」
部屋の前に、クラリッサが立っていることに気がついた。
それだけセレウスはぼーっとしていたのだ。ベッドの真ん中で、座り込んでいた。
「婚儀のお話、お聞きしました。なんと声をおかけしてよいのか・・・」
申し訳なさそうに、頭を垂れるクラリッサにセレウスは微笑んだ。
「いいんだ。これですっきりした。僕の答が出たよ」
ベッドから降り、クラリッサの前に進む。
部屋の中に彼女を引きいれると、扉を閉めた。
「僕はクラリッサが好きだ。僕は、セントリバースやヴァルドヴァースなんて関係ない。君と一緒にいたいんだ」
しっかりとした声で、クラリッサを見据える。彼女もまた、目を見開いて彼を見上げていた。
「父や周りには僕が説得する。それが駄目なら、すべてを捨てる覚悟もできている」
「ちょ、ちょっと、セレウス・・・」
クラリッサが焦ってセレウスを制止する。
「あなた自分が何言ってるかわかってるの?あなたの結婚はあなただけの問題じゃ・・・」
「わかってるよ」
ぴしゃりとセレウスが言った。
「だから君にも協力してほしい。みんなが納得してくれるようなヴァルドヴァースの王妃になるように。」
ただただ驚くだけであったクラリッサの目から、一筋の涙がこぼれた。
「私で・・・いいの・・・?私なんかで・・・」
「元から僕には君しかいなかった」
「・・・はい」
彼女は涙をぬぐい、数回縦に静かに頷く。
それをみたセレウスは、ふと穏やかに笑った。
「僕たちに必要なのはもうシロツメクサじゃない」
そう言って彼が、部屋の花瓶から一輪の花を取り出す。
赤く色づくチューリップの花。それをクラリッサの目の前に突き付ける。
「受け取ってほしい」
吸い込まれるほどの真剣な瞳。
クラリッサの温かい手が、セレウスに触れた。
「・・・よろこんで」
クラリッサは微笑み、赤いチューリップをそっと受け取った。